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映画『まる』を観て感じた、アートの価値と評価の不確実さ

先日、TOHOシネマで映画『まる』を観てきました。

この時間帯の映画館は少し治安が悪く、隣のおじさんが爪を噛んだり、盗撮したり、節を折って音を立てたりして、少々落ち着かない状況でしたが、そんな中でも作品に引き込まれるほど強烈なメッセージ性を感じた映画でした。

あらすじ:さわだの「まる」が世界的に評価されるまで

映画の主人公・さわだは、何気なく描いた「まる(◯)」が突如として世界的に評価されるという展開を迎えます。

彼の「まる」は、無欲でシンプルな形として「円相(えんそう)」を象徴する現代アートとして認められ、その作品が大ヒットします。しかし、皮肉なことに、売れることで欲望が生まれ、かつての純粋な「まる」を描けなくなってしまうという葛藤が描かれています。

最終的に、さわだが自分の描きたい絵を描いた後、キュレーターからその上に「まる」を描くよう指示されます。彼はその通りに「まる」を描きますが、描き終えた直後にその中央にパンチを打ち込み、風穴を空けます。それさえも世界で評価されるというラストシーンで幕を閉じます。

感じたこと:アートの評価と人間の心理

この映画を観て感じたのは、アートにおける評価の不確かさです。

さわだが描いた「まる」は一見誰にでも描けそうなものですが、それでも数百万円の値が付き、世界的に評価されてしまう。一方で、同じような「まる」を他の人が描いても、全く評価されないという不条理。この点で、アートの奥深さと同時に、評価というものの曖昧さ、時には浅はかさも感じました。

アートは非科学的なものであり、数値や根拠を持って「これは素晴らしい」と言うことができない領域にあります。だからこそ、時として無意味に思えるものが評価される世界であり、そこには運やタイミング、そして「見る人の目」という要素が大きく関わっているのだと感じます。

クリエイターとしての葛藤と評価の理不尽さ

映画の中で描かれたさわだの葛藤は、成功と欲望、そして創作の純粋さの間にある緊張感を見事に表現しています。無欲な時に描いた「まる」が評価され、その後同じようなものを描こうとしても描けなくなってしまう。それは、自分の創作と評価のギャップに苦しむ多くのクリエイターたちの心情を映し出しているように感じました。

また、評価される作品が必ずしも努力や技術に比例しないという現実も突きつけられます。隣人の漫画家はプロ並みに絵が上手いのに、賞を取れず、一方でさわだの「まる」は世界的に評価される。この理不尽さこそ、アートの世界の魅力でもあり、残酷さでもあるのかもしれません。

終わりに

映画『まる』は、アートと評価の不確かさ、そしてクリエイターの葛藤を描いた作品でした。評価は受け手によって自由に解釈され、クリエイターは自分が作りたいものを作る。その結果がどう評価されるかは運任せである場合が多いという現実が、強烈なメッセージとして心に残りました。

誰にでも描けそうな「まる」に、何百万という価値が付く。それが現代アートの世界であり、私たちの生きる社会の縮図かもしれません。評価の不確実性と、それに対して創作を続ける人々の姿は、私たちに何を伝えているのでしょうか。そんなことを考えさせられる映画でした。

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この記事を書いた人

平安貴族
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