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アウトプットアレルギーの人

 「アウトプット」という言葉が流行り出してどれくらいの月日が経ったかの。
意識高い系」というワードの次くらいに聞くようになった気がするの。

そんな中、強い意志を持ってサイトを開設した。

なぜサイトを開設したのか、余は一体なんなのか。
あることないこと書き連ねてみたぞ。

目次

どうしてこのサイトを開設したか

 結論から話すとしよう。

余は日本人の、まどろっこしい、もったいぶったような、遠回しで、話の長い、説教くさくて、それでいて責任逃れな申し方が嫌いなのじゃ。
其方(そなた)もそうじゃろ?

さて、どうしてこのサイトを開設したか、それは、アウトプットをしようと思ったからじゃ。

…ま、待ってくれ!具(つぶさ)に説明するから、その日本刀を鞘(さや)にしまうのじゃ!

それはサイトのタイトルからわかることであったな、失敬。

では、どうしてアウトプットをしたいと思うのか。

それは、本などのインプットで感じた気持ちや考えの行き場が欲しかったのじゃ。

小説や映画などの娯楽を楽しんだ後、それに感銘を受けた時は、その感想や重要な部分をメモしていたのじゃ。
Notionなどを使ってな。

書き記すことで、自分の中に落とし込むことはできる。
しかし、モチベーションが続かないのじゃ。

もっと端的にいうと、つまらないのじゃ!

そこで、「ブログ」という形式にして、残そうと思ったのじゃよ。

「人に共有できる」や「認知されるかも」という新たな目的によってモチベーションを上げる策を打ってみたのじゃ。

これが功を奏すか、大失敗に終わるか、非常に楽しみなところじゃ。

そういうわけで、余はこれから映画などの感想や考えたことを、このサイトの記事として投稿しようと思うぞ。

よろしく頼む!

どうして無料サイトではないのか

先に述べたように、こういうアウトプット系の話題に対して、嫌悪を抱く気持ちがある人もいるじゃろう。

それは、恐れに由来すると思うのじゃ。

其方もそう思うじゃろ?

その恐怖心で、アウトプットを遠ざけてしまうのじゃな。

そして、ある意味では、余もそのうちの1人なのじゃ。

意識しないと、すぐにアウトプットに対して及び腰になってしまう。

なので、自分に釘を打つために、このサイトを開設したのじゃ。

高いサーバー代を払ってな。
noteでもいいのにじゃ。

ここからは余談

もう大体述べたいことは述べたが、自己紹介的に、もう少し踏み込んだ内容を書いてみたいと思う。

今まで何をしてきて、どういうことを考えて、今に至るのか。
そしてこれからどうしたいのか。

興味がある者だけ、見ていくがよい。

今までアウトプットをしてきたか

 実は、今まで色々なアウトプットをしてきたのじゃ。

英語学習に関しては、これらじゃ。

  • 英語用Xアカウントを作成・投稿
  • 英語フリートークを録音
  • 英単語アプリ
  • 英語で日記をつける
  • 海外留学

バズりたくてこんなこともしたのぉ。

  • 日常会話のワンシーンを記事にするだけの、尖ったブログの発信(シャニマスのコミュをイメージするのじゃ)
  • ライフスタイル系の投稿をinstagramで発信(インフルエンサーのモーニングルーティーン紹介をイメージするのじゃ)
  • ラジオを友人と録音しラジオ投稿プラットフォームに投稿(わかるな?)
  • 作曲をして、YouTubeに投稿(わかるな?)

割とネットを中心に、アウトプットをしていたな。

ちなみに、ほとんどは数ヶ月で挫折したぞ。
しかし、この方法はダメだったとか、これは向いてなかった、ということはわかったのでよしとしよう。

さて、先に述べたアウトプットは、カテゴリーで分けた。
これを、別の基準で分類すると、また異なる見方ができるかもしれぬな。

アウトプットを別の基準で分類してみる

 余がしてきたアウトプットを、改めて分類し直してみようと思う。

まず、対人コミュニケーションが発生するアウトプットと、そうでないもので分けてみるぞ。

対人コミュニケーションあり対人コミュニケーションなし
海外留学英語用Xアカウントの作成
英語フリートークを録音
英単語アプリ
日常会話のワンシーンを noteにする
ライフスタイル系の投稿をinstagramで発信
ラジオを友人と録音しラジオ投稿プラットフォームに投稿
作曲をして、YouTubeに投稿

こうやってみると、対人コミュニケーションが発生するアウトプットは海外留学の時だけじゃな。
(もちろん、プライベートでの話じゃ。学業や仕事での経験は含んでおらぬぞ。)

どうして、積極的にコミュニケーションを取りに行く行動はしていないのか。

それはやはり、恐れじゃろうな。

アウトプットした反応がリアルタイムで返ってくるのは、あまりに怖過ぎるのじゃ。

なので、オンライン英会話もやりたくないのじゃよ。
挑戦はしてみたが、話せない自分に落ち込み、5回ほどでやめてしまった。

では逆に、なぜ海外留学はできたのか。

そこについて、考えてゆくぞ!

留学という強制力

 考えるまでもなかったな。

要は強制力が別次元なのじゃ。

オンライン英会話は、結局パソコンを閉じれば、日本での日常が戻ってくる。
全ての感情を表現できる平穏で素晴らしい日常。とても居心地がよいの。
パソコンの向こう側が地獄に見えるのは、無理もない話じゃ。

一方留学は、パソコンを閉じてもそこは海外。
英語と向き合うしかないのじゃ。
まさに背水の陣じゃの。

一見、留学の方が地獄に見えるが、これが不思議なところなのじゃ。

英語に向き合うしかない、と一旦腹をくくれば、英語と向き合うことが日常に変わっていく。
もはやそこに、今までの平穏はないが、順応や麻痺のようなもののおかげで、なんとかやっていけたのじゃ。

こういった強制力のある環境に身を置くことが、身を晒す類の逃げたくなるようなアウトプットには必要なのじゃ。
特に日本人にはの。

このサイトに強制力はあるのか

いろいろと述べてきたが、最初の話に立ち返ってみよう。

余は先にこう述べたな。

「自分に釘を打つために、このサイトを開設したのじゃ。
高いサーバー代を払ってな。」

この「高いサーバー代」。
これが強制力じゃな。

留学の事例に比べるとかなり弱いな。
(留学自体が数十万の出費じゃから余計に弱い)

しかしこれでも十分なのじゃ。

なぜかというと、身を晒す類の逃げたくなるようなアウトプットではないからじゃ。

細々・コツコツ系のアウトプットは、そこまで劇的ではない代わりに、そこまでの気合いは必要ないのじゃ。

「せっかくお金かかってるし…」程度の小さな動機が加わるだけで、行動や習慣は変わってしまうのじゃ。
人間、損をしたくないからな。

逆に習慣にしてしまえば、今までの行動が無駄になると考えて、辞めれなくなったりもする。
これがいい方向にも悪い方向にも転ぶ時があるので、注意が必要じゃがな。

終わりに

ダラダラと記事を書いてしまったが、最初なので許しておくれ。
表記揺れも、まあ、仕方ないことよ。
許容していくのもまた才能だと思わぬか?

ここまで読んでくれて感謝するぞ。

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この記事を書いた人

平安貴族
使い捨てカイロが自治体によっては不燃ゴミの可能性があることを広めるために現世に降り立った

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